夏の万華鏡
制作 さすらい人 2001〜
   い つ の ま に か

友達と電話で話す

中学生の頃からの友達

俺と違って 世の中に逆らって 生きてきたやつ

話題と言っても 音楽会の打ち合わせ

連絡方法がなくてはと 俺の勤め先を教える

相手は 電話口のむこうでメモを取る

そして 笑いながら言う

「最も 緊急連絡といっても 

俺が死んだときぐらいだろうよ

そしたら 電話をかけることもないわけだ。」

それもそうだなと 一緒に笑う

明るくもなく 暗くもなく

いつのまにか 俺達も そんな歳になったのだ
                      1982.3/6
   一 こ ま1



新松田駅、午前。

黒光りしたきの梁、屋根。

その下に、古いがいしがあった。

電線は とっくに外されたがいしだけ。

そのがいしがもう汚れているのに なぜ外してないのか。

その理由は すぐわかった!

がいしを足場に、燕が巣を作っている。

あちらもこちらも がいしで支えられた燕のアパート。

いくら汚れていても 燕の大切な住みか。

そのかわり 糞の落ちるプラットホームは  

きれいにきれいに 掃除されていた。

無言のやさしさ。

ここには人間の心があった。
               198?.7/21

       一 こ ま2

久しぶりに乗った中央線。

缶ジュースをあけた隣の席の男

当然のことのようにして そのふたを床に投げ捨てた

なんというやつだ!

見れば、無神経を絵にした顔

その鈍男氏 本を読んでいた

周りに糞を捲き散らすように 平気で汚せるかの男の読む本は

シ・ェ・ー・ク・ス・ピ・ア・・・・・・・

題名は 「お気に召すまま」

なるほどと 納得したような しないような
             198?.8.14.

  


線路のやつがあんまり蛇行を繰り返しているものだから

後ろ向きに座り変えた僕の場所からは

過去ばかりがしきりに目にうつる

旅の終りが近いよと 振動が 背中に伝えてくれている

ところが僕の位置からは

未来などさっぱり見えないものだから

終りまでどのくらいあるものだか はて さっぱりわからないんだ

                       1989/8/13
  一 こ ま3

東急 大井町線

戸越公園に近づいた

開かないドアの前に お婆さんが立っていた

すぐに気付いた車掌が呼びかけた

「おばあちゃん 後ろ二両はドアが開かないよ

降りるなら 前に行ってね」

電車は 止りかけていた

おばあちゃんは ゆっくりゆっくり前へと移っていった

ゆっくりゆっくり



すでに電車は止っていた

おばあちゃんは まだ後ろから二両目

降りられるだろうか

乗り合わせた人たちの

心配そうな視線が集まった

ふりかえると ドアを明け閉めする車掌の顔も同じだった



もちろん 間に合いました

間に合うまでドアは閉まろうとしませんでした

               1989/8/22
1992.3.2.  教え子達         

    電話のベルと一緒に アルバムから 写真が一枚飛び出した

16年の歳月を無造作に飛び越えて 君達は現れた

黄ばみはじめていた写真の色が いきなりよみがえった

8才の子供達は 24才のすらりとした肢体で 生き生きと動き出す

あの頃と同じ目 同じ心でもって

かって

お別れを前に 子供達の書いた詩の一節が 浮かんでくる

「このまま 地球が止まって 時間が止まって 長い長い3月になるといい

 そうしたら 先生とも みんなとも いっしょにいられる・・・・・・」

そうだ、君達は 長い長い3月を生きている子供達

君達と私とが会うたび 長い長い3月にたちかえる

    あの頃私は 君達に

優しさを語った

人の心を 熱っぽく語った

今君達の目が

私に暖かさを教える

人間の心を語りかけてくれる

私は 過去の点景

君達こそが 今を作り 動かしているのだ!

    まもなく 私のもとを立ち去ろうとしている君達

さようならっと手を振った君達が

未来に向かって歩み去り

しずかにドアが閉まるとき

アルバムもまた 閉じられるだろう

そして そのとき 中に貼られているのは

君達の写真ではない

そこにあるのは 黄ばんだ一枚の 私の写真

ひとり ぽつんと立っている私
     ふ ろ

並外れてきれい好きというわけでもないこの僕が

このごろやたらに風呂にはいる

風呂が汚れる分だけ僕がきれいになる などと気取ってみる気にもならぬ

要するに ドアの外には 行くところがないのだ

仕方がないから たいそう遠くへでも行くように

ふうふういいながら服を脱ぎ 風呂の中に飛び込むのだ

独りぼっちのへやの空気と異質の世界へ行くように

お湯の感触を受け止めるのだ

そんな毎日だものだから

風呂おけの横に 灰皿がおかれるようになり

たいてい一冊か二冊の本がはべり

ときには新聞

そして とうとう今日は 鉛筆まで 風呂場に進出した

なんのことはない

これでは 普通に部屋にいるのと同じではないか

かくして また一つ 行くところを失いつつあるわけか

              198?.3/27 11:30〜
    発 見

いつもオートバイで通る道を 今日は歩いて通った

いつもは通勤の道 通っていく道でしかない道が

両側に建物を従え はじめて生きた道になった

ビルの横腹が緑色のしみになり

そこに 人間の匂いがするのを 初めて知った
     
          198?.3/22
   石 だ だ み


雨の通りで

今日僕は見た 銀座の石だたみを

いつも 人々の足の下にかくれているので 僕は知らなかった



石だたみはずっと遠くまで続いていた

確かに続いていた

石だたみに添っていけば

何処までも真っ直ぐに進めそうだ



それなのに ふだんは決して見えない石だたみ

あることさえ忘れられた石だたみ



その上を 人々は 歩く

石だたみのさす道にきづくことなく

                     1989/1







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            ベランダのイス

ベランダにイスを置いた。

木製のかわいらしいイス。

座るのは どうせ私1人。

でも、それではイスが淋しかろうと

もう一脚のいすを買い求め

ちっちゃな丸テーブルを間に置いた。


これで、すくなくとも イスは淋しくない。

そのせいか、座り心地が良かった。


                    2005/6/12