【曲 名】 弦楽四重奏曲「旅人のモノローグ」全四楽章
【ソフト】 Musicator V.1 for S−mpu
MUsicator V.3 for Win
【データ】 標準MIDI形式(MCT形式をMIDにコンバート)
【音 源】 使用音源は SC88及びSC88Pro
SC55、ソフトシンセ等ほかのGS音源でも聴けると思います
【楽器配置】左から第一バイオリン、第2バイオリン、チェロ、ビオラ
【曲構成】 第1楽章 Largo−Allegro moderate 
序奏−>ソナタ形式による主部 約16分25秒
1966.10.8.〜 序奏とソナタの提示部作曲
1990.10.〜11.展開部以降補筆
第2楽章 Andante con espressione 
複合三部形式 約16分18秒
1992.8.22. 作曲完了
第3楽章 スケルツォ Presto 
トリオを挟んだソナタ形式 約14分31秒
1993.1.29. 第一稿 1997.2.10.最終稿
第4楽章 Allegro 
序奏−>ロンド形式による主部 約15分57秒
1995.1.〜1998.8.31. 第一稿
計63分余り
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1.はじめに
私の音楽の経験は、公立の小・中学校と高校の2年生までの授業が全てです。(あ、
まじめだったかどうかは詮索しないことね。)楽器も全く駄目です。思い返すと、近
所に足踏みのオルガンがある家さえなく、まわりに音楽をするものもなく、ピアノと
いうものは、学校で遠くから眺めるだけものでした。つまり私こそ、100%生粋の
素人であります。わずかに音楽に触れたことといったら、幼児期になぜかわが家に蓄
音機と(知ってる?)いうものがあり数枚のSPを聴いた(はず)だけです。
そんな私が厚かましくもクラシックが好きになったのは、給食中のBGMで「菩提
樹」というシューベルトの曲を何とはなしに聴いて突然感動したことが多分きっかけ
です。あと、12才の頃学級(13組まであった)対抗の作詞作曲コンクールという
のがありました。曲を作る人間がいないので、音楽の先生に5,6人の生徒が「おま
えたち明日までにこの歌詞に曲をつけてこい。」とやられ、不幸にも?私も指名され
てしまいました。必死の思いで子供のハーモニカでメロディを作って行ったところ、
私の曲がえらばれてしまい、あとはずるずる・・・・・。これが私の作曲事始めでし
た。他に経験といえば、中学で男子生徒のメンバー不足を補うため駆り出されて「モ
ルダウ」の合唱に参加したことぐらいです。コンサートは聴きに行ったこともありま
せんでした。生活することに手いっぱいの時代でした。
このあたりから、何故か作曲というものに憧れるようになりました。12,3才か
ら、とにかくソナタとか交響曲とかいう言葉は魔法の言葉でした。暇があると、ハー
モニカしかないのであとは想像で音楽を奏でることが続き、かきちらしの音符がのこ
りました。たよりは、ラジオできいた音楽の記憶と数冊手にいれた管弦楽のスコアで
した。思えば無謀なことをしたものです。交響曲もソナタもみんな間違いだらけの断
片としてのこりました。
DTMの出現は驚きでした。私のように経験も知識も技術もない人間にはほんとう
にありがたいことでした。はじめて音に出来る!少年の日の夢を、誰かに迷惑をかけ
ることもなく実現できるのです。思えば私が作曲に興味をもったときから30年以上
が過ぎていました。
作曲にあたっては、アマチュアの物まねかも知れませんが、せめて、自分なりの思
いなり心情なりを、精いっぱい盛り込み表現したいという願いは持って取り組んでい
ます。その意味で、駄作ではあっても、作っている時の気持ちとしては遊びという余
裕はありません。その点で、お聴きいただく皆様には、多少押し付けがましいところ
もあるかもしれませんが、ご許しください。
2.この曲を作るようになったのは
私が下宿していた4畳半でこの曲をかきはじめたのは1966年の夏、18才の夏
でした。(事情があって私は高校2年から一人暮しをはじめている。とにかく金欠で
一日につかえる予算が100円きり、ラーメンが60円の時代でコッペパンを3つに
わって朝・昼・番と食べていたこともあった。遊びと言えば友達とだべることが全て
だった。)作曲といっても、道具は紙とえんぴつだけ、あとは音を想像してたのしむ
しかなかったのですが、それでも当時は夢中になったものでした。例によって途中ま
でで終わってしまいましたが。DTMを使えるようになり、もう一度音にして完成し
てみようと思い立ったのがこのデータ作成の動機です。いわば少年時代の宿題を仕上
げてみようということです。
のこっていた断片は以下の通りです。
第1楽章 序奏と提示部など
第2,第3楽章 中心となるテーマや素材
第4楽章 何も残っていない
で、復元に当たって、第1楽章は草稿はそのまま生かし、足りない展開部を新たに
作りコーダを付け足しました。第2,第3楽章は、モチーフなどの素材はのこってい
たものの譜面の形までいっていなかったので、新たに再構成しました。また、足りな
い材料は当時つくった歌なども取り入れました。第4楽章だけがまったくの新作です。
3.「旅人のモノローグ」という名前
第2楽章につかった旋律に、はじめそういう内容の詩をつけていたのです。
「遠い街の暗い路地で 歩き疲れた男が一人 ため息をついて腰をおろした
俺がこうして旅をするのは何のためかと思ってみても 今更もとへもどれはしない
あのころは 俺は若かった 一人そっと旅に出た
辛いことを 百も承知で旅に出た そして いつのまにか 月日がたった
俺の心は満たされぬまま 涙も笑いも消えてしまった
遠い街の暗い路地で 歩き疲れた男が一人 ため息をついて腰をおろした
俺がこうして旅をするのは何のためかと思ってみても 今更もとへもどれはしない」
「人は死ぬときゃね 何も持たねえよ 生きていたときにも 何もなかった
せめて死ぬときゃよ うそでもいいから 希望抱いて目をとじたい ああ とじたい
俺が死ぬときゃね 何も持てねえよ 女房一人さえも 持てなかった
せめて死ぬときゃよ 夢でもいいから やさしい腕の中で死にたい ああ 死にたい」
とまあこんな詩でした。つまり、ある旅人のドラマがイメージされていたのです。
ついでに書きますと、次の第3楽章にも歌が出てきます。
「年老いた人へ あなたの涙を乾かしてはいけない 絶やしてはならぬ
あなたの胸の中の苦いものを残しておこう 今日の痛みを
いつかそれが何かをつくる
若者たちへ あなたの心を曇らせてはいけない 閉ざしてはいけない
あなたの胸の中の熱いものを残しておこう 今日の苦しみ
いつかそれが何かを変える
子供たちへ あなたの瞳に美しい夢を うつしてみよう
あなたの目にうつる世の中のまことの姿と あなたの怒りと
いつかそれが 世界を変える
諦めを歌う 私の心よ眠ってはいけない 忘れてはならぬ
おまえの中にある弱いものと醜いものを 見すえていよう
いつかそれが私を変える 」 (パロディ・リスニング第11曲「いつかそれが」)
つまらない詩にお付き合い頂有難うございました。これらの自作の歌詞付きの歌が
この弦楽四重奏曲の背景にあったということです。1960年代の後半の時代状況も
あります。ま、それだけではありませんが・・・・。 以上のように、この曲は多分
に青春時代の記憶のかけらから出来ているような気がします。あるいは、「旅人」の
青春あるいは人生との決別の思いも。
曲を作るに当たって、一つだけいたずら(?)をしています。第1楽章はチェロか
ら、第2楽章はビオラから、第3楽章は第2バイオリンから、第4楽章は第1バイオ
リンからはいるというのがそれです。各演奏者のことをかんがえてというのが理由で
すが、考えてみれば、生演奏などされる機会があろうはずもないのにね。
長長とお付き合い頂有難うございました。感想お待ちしております。
VAN VQA83922 NIF GED03062 さすらい
※追記
第4楽章はとりあえず形にしただけのもので恥ずかしい限りですが、こ
のままでいると永遠に完成しそうにないということで、宿題を仕上げるよ
うなつもりで初稿をUPということにしました。じつは、まだ形にしただ
けで、データとしての調整はこれからなのですが、次に手をつけるのが何
年先になるかわからないという感じなので、暫定的ながら発表することに
しました。曲としてもまだなおしたいところがあるのですが、今回はご容
容赦下さい。
【感 謝】 この曲の進行中励ましをいただいたばかりでなく、オーケストラや室内楽
の本格的アレンジで力づけてくださったりぶんさんとShigeさんに、
この場をかりてお礼申し上げます。
【転載等】 著作権は私にあります。無断転載等はお断りします。もし、
必要があればメールでご相談下さい。
1998.8.31.
さすらい
弦楽四重奏曲「旅人のモノローグ」(全曲)