制作 さすらい人 2001〜
映画の棚
伊勢正三  詩・曲・唄 「なごり雪」
                    より
監督  大林 宣彦
 2001年〜 制作 2002年 公開
 
音楽 ・伊勢正三 詩・曲・唄  「なごり雪」  
    ・伊勢正三 詩・曲・唄  「22才の別れ」
    
・喜多条忠 詩  伊勢正三 曲
                    「ペテン師」
    ・
土井晩翠 詩  滝廉太郎 曲
                    「荒城の月」

劇中書籍  山本有三 著 「心に太陽持て」

物語の舞台 大分県臼杵市(冒頭の一部東京)

登場する祭り   臼杵 石仏火祭り
           臼杵 竹宵
主な登場人物
死にかけている水田雪子  現在
雪子(須藤温子)  28年前
梶村祐作
  (細山田隆人)
 上 28年前
 下 現在
  (三浦友和)
水田健一郎
  (反田孝幸)
 上 28年前
 下 現在
  (ベンガル)
梶村道子 祐作母
  (左時枝 )
菅井 とし子
(宝生舞)
水田の母 現在
 (津島恵子)
その他の主な登場人物
  槙弘美   (日高真弓) 雪子の友人
  杉田良一  (田中幸太朗)
  新谷由梨絵(齊藤梨沙)
  ひとびと   (臼杵の人々)
水田夏帆  娘
  (長澤まさみ)
 現在公開中の映画なので、詳しい筋は書けないので、つれづれに思いつくことを書いていくことにする。 
 世代によって、自分の生きている形によって、どの人物に寄り添っているかによって、映画はいろんな見え方や感慨があると思うが、私もまた、自分の生きてきた歩みに重ね合わせて見てしまった。素直にそういう気持ちになれるところが、この映画の素晴らしさの一つだと思う。
 妻に出て行かれた日の夜遺書を弄んでいる祐作。現在の祐作の生活も、妻とし子の姿もそこには感じられない。どう生きてきたのかもわからない。ただ、そうなってしまった祐作がそこにいる。
 そこへかかってきた電話。28年間帰ることのなかった故郷臼杵の、かっての親友水田の声が飛びだしてくる。祐作に心を寄せているのを承知で忘れてしまった臼杵の雪子、いまは水田の妻になっていた雪子が死にかけている、帰ってきてくれという水田の声。祐作の忘れかけていた28年前の現在への旅が始まる。
 
 出発した 列車の後ろに置いてきてしまった28年前までの故郷臼杵での日々が少しずつ蘇る。いつもまっすぐで、一生懸命な親友水田。(昔は「ばんから」とか「硬派」といういい方があった。「男らしい」といったらこんな感じだったか。)それにたいして、いつも「ああ」とか「そうだな。」とか曖昧ないい方しかしない祐作は、なぜか女の子にもてた。何を考えているのかはっきりしない祐作が、寝っ転がって読んでいた本が、ヘッセの「車輪の下」。そんな祐作に想いを寄せる雪子。「雪が降るといいことがあるの。」と信じ、窓から発砲ビーズの雪を降らせる雪子の「雪よ。雪よ。」という声があたまから離れない。上京する祐作を送る駅のホームで、おとなしい雪子が一度だけ、自分の思いのたけを伝えるのが、「春が来て、きみは去年よりきれいになった」という例の歌の一節からきたセリフだ。祐作の頭から忘れ去られたこ
のセリフが、再び祐作の口を借りて蘇ってくるのは、28年後の雪子の死の後である。その雪子密かに水田は心を寄せている。親友の祐作と雪子をいつも見守る水田の気持ちがいじらしい。進学をしないで、家業を継ぐ現実にしっかりと足を踏みしめた水田が、実は、誰よりも純でまっすぐに生きている。その姿勢は、28年後に祐作と再会するときまで変わらない。水田も雪子も、いつもひたむきな心とやさしさを持って生きている。
 ひとり祐作だけが、はずれているようである。雪子の気持ちを知りながら、帰郷するときに、ホームで迎える雪子(と水田)の前に、女友だちを連れて現れる。内心の動揺を隠しながら、祐作ととし子(後の祐作の妻)をもてなす雪子(そして水田。)雪子を「子ども。」という祐作。どうみても一番子どもなのは祐作なのではないか。
 祐作の母が亡くなり、葬儀に戻ってきた祐作。手助けをして一生懸命やってくれたのは水田であり雪子
である。通夜の席にとし子が駆けつけてくる。黙って祐作の隣の席を譲る雪子。当然のようにすわるとし子。そのときの雪子の気持ちがどんなに辛かったか。それを見つめる水田もまた。他人の痛みがわからない人間はやはり子どもなのだと思う。
 通夜の後、雪子を家まで送る水田と祐作。ついてくるとし子。そのあと間違いが起こる。様子がおかしいと思いこみ(雪子に恋する水田だ。)雪子の部屋まで追いかけ、カミソリを持っている雪子を見つけてびっくりして止めようとしてもみ合う。窓ごしに見えた二人の姿に駆けつけてきた祐作。「違うのっ!」と叫びながら飛びだしていってしまう雪子。祐作が雪子を見た最後になる。帰郷のホームにはじめて雪子の姿がない。自分に雪子を守らせてくれという水田。そして、二度と臼杵には戻らなかった祐作。
 冒頭の28年後の水田の電話が次の出会いである。そして、雪子は、事故でベッドにねたまま二度と起きることも、包帯の下の顔を見せることもない。臨終のとき、水田が、雪子の作っていた「幸せの枕」を頭の下に入れてやる。そのとき包帯の下から、一滴の涙が流れ出る。

 くわしい筋は書かないといいながらだいぶかいてしまったが、実は、半分だけ。書いたのはほとんど過去の部分である。なぜ雪子がカミソリを持っていたのか。なぜ「違うのっ!」と叫んだのか、真相はどうだったのか。その辺はスクリーンで見て欲しいと思う。
 この映画は、フィーリングで作ったようなものでなく、しっかりした物語である。
私のように大林ワールドに詳しくない者でも十分に満足できる。美しい臼杵のたたずまい、28年前の人の心のかがやき、別れと再会の物語。見所はたくさんある。ここにほとんど書かなかった映画の中の現在の部分と重ね合わせるとき更に奥行きが深まり、見えてくるものがあるはずである。若い日の恋の物語ととるかそれ以上のメッセージを受け取るかは見る人次第である。
 雪子と水田の一生懸命さ、最後の、駅で慟哭する水田(ベンガル)の姿から、私は涙が止まらなかった。主人公に見える祐作は、3人の中で一番かげが薄い。大志を抱いて上京していった筈の祐作が一番輝いていない。包帯姿で横たわる雪子が、水田が、最後までどういう思いで生きていたのかというのと、冒頭のうつろな部屋の祐作と比べてもそう感じる。一番生きていないのは、最初から最後まで祐作という感じ。ホームの最後の別れで、「一生懸命生きるだけ。」と言って去っていく祐作と慟哭する水田。水田は、しかし、これまで一生懸命に生きて生きて生き抜いてきた。祐作は、これまでの生活が薄っぺらなものだったとようやく思い始めている。この28年が3人にとって何だったのかという問。3人以外の者にとっても、映画に見入る私たちにとっても。映画の訴えるものはみかけより重い。切なすぎるようだが、これからどう生きるかというところへの希望もほのかに感じさせる。たどたどしくはあっても、こんどこそ祐作の生きる色合いが変わるのではないかという。
 最後に一言。この作品を見た人は、案外、雪子や水田と自分を重ねて感情移入してしまう人が多いのではないかという気がする。私の場合、自分が(女の子にもてたということを抜かして)なぜか祐作と重なってしまう。冒頭の場面などそうである。複雑な思いがしたので、もう一度見てみたいと思ったが、果たせなかったので、いつかDVDが出た日にもう一度見てみたいと思っている。それにしても、ひさしぶりに涙が止まらなかった。電車で去っていく祐作も最後では涙ぐんでいたな。

        なごり雪 公式サイト http://nagoriyuki.com/
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参考文献
 映画「なごり雪」パンフレット
 
 「なごり雪」 大林 宣彦 著
    メディアファクトリー刊
            (文庫本)
     2002.9.28.発行
                                   追 記

 臼杵市の人たちの参加と協力の様子が「なごり雪」の本に詳しく出てくる。映画の舞台となった、祐作の母の店「みちこ」、水田の家、窓から、「雪よぉ、雪よぉ。」と雪を降らせた雪子の家などは実在しているそうである。三人の歩いた道も。見た人は、美しい臼杵の町になつかしさを感じると思う。大林監督は、過去をセピア色にするなどのテクニックを排し、もともと過去が今も生きている臼杵の町と、当時の言葉遣いをきちんとすることで、過去と現在を表現したそうである。臼杵という町は、開発という名の破壊に抵抗し、町を守り続けてきたところだということである。祐作と水田・雪子の関係と、東京と臼杵の関係を対応させてみることも可能である。
 雪子役の須藤温子さんが、何とも初々しく清らかである。大林監督に初めてあったとき、顔中が腫れていたので監督がびっくり。前の日渡されたシナリオを読んで 涙が止まらなかったためという。その感受性があれだけの演技のもとになったということだろうか。
 現在の水田を演じるベンガルさんの演技もすばらしいの一言。最後のホームで嗚咽する姿を思い出すだけで、感動が蘇ってきてしまう。あれは、何に対しての慟哭であったのだろうか。

2002.10.28.追加
●この物語を読み解くキーをいくつか。
 1.まず、雪。「雪子」という名前の由来。「幸せの雪まくら。」発泡ビーズ。そして、雪子の幼い日の記憶。「違うのっ!」という雪子の叫び。
 2.50才の水田が祐作に語るセリフ。「・・・雪子は名、なぜだかいつも春を待っていた。夏が過ぎていく頃には、
   もう次に来る春のことを考えていた。あれは、一体何だったのだろう?」そして、ラストで語られる祐作のセリフ。
   「ぼくはね、あの夏、28年前の、あの夏、この駅で、雪子と約束したんだ・・・今度の春は、きっと帰ってくるってね。
    そして雪子に此処であったら、きっとこう言うんだ・・・・。今、春が来て、君は綺麗になった。去年よりずっと綺麗になった・・・。」
   祐作が去った後の水田の嗚咽。
 3.遺書を書いていた祐作に突然届いた雪子の危篤の電話。
   雪子を焼く火葬場での祐作の心の中のモノローグ。「・・・私にわかるのは、雪子はこの臼杵で一所懸命生きたということだ。
   私は何と、薄っぺらな生き方をしてきたことか。それで自殺する等と言ったら神さまに叱られるだろう・・・」「雪子、ぼくはこれからの
   人生で、人を愛することができるだろうか・・・・。」
   ホームでの水田との別れのセリフ。「ぼくも君も、只、生きていくしかないだろう。出来れば、一所懸命にな。」
   祐作の心に初めてさしたかすかな明かり。
 4.傷心の中でも、みんなの幸せのために雪を降らせようと考えた雪子。曖昧なまま自分のことしか考えられなかったかっての祐作。





参考   臼杵市のホームページ  http://www.city.usuki.oita.jp/